オープンダイアローグ・カフェ

オープンダイアローグを学んで体験してみるワークショップ

オープンダイアローグとは フィンランド発の対話の手法で、精神疾患に効果が高いと注目され日本ではひきこもりや不登校支援への応用が期待されています。

ワークショップ「オープンダイアローグ・カフェ」体験エッセイ

今ここにないものにも、耳を傾ける。「声のアトリエ」のオープンダイアローグ
取材・執筆:遠藤光太(parquet)
オープンダイアローグ(開かれた対話)には、話せない時間がある。

私が語りをしたあと、私以外の参加者だけで、私の語りについて話すのだ。これはオープンダイアローグにおいて「リフレクティング」と呼ばれるステップである。なんとも不思議な時間だ。
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今回、ちはやさんこと髙本裕子さんが主宰する「声のアトリエ」の「オープンダイアローグ・カフェ」に参加した。

ここでは、オープンダイアローグをオンラインで体験することができる。2時間のセッションを終えると、オープンダイアローグの不思議さを身体で感じることができたと感じられた。冒頭に記した「話せない時間」が、ひとつの鍵だった。

Zoomで自分の画面をオフにして、皆が自分の語りについて話しているのを、ただ聞く。自分には思いもしなかった視点を知り、ハッとする。

オフラインで行われるオープンダイアローグでは、語りを提供した人を除いたメンバーが輪になって、その人と目を合わせず、それぞれの意見を言い合うそうだ。ただ、まったく別の場所に離れることはしない。オープンダイアローグには、「その人のいないところでその人の話をしない」という原則がある。語りを提供した人はその場にいながら一時的に対話には参加せず、自分について話されているのを聞くのだ。オンラインでも、その体験は十分にできる。

「何を言ってくれるだろう」
「間接的に届き 自分の感情が生まれる」

これは、漫画家の水谷緑さんがリフレクティングを体験したときの描写だ(※)。

※斎藤環、水谷緑著『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(P.31)

オープンダイアローグは、精神医療の手法として注目され始めているが、医療者や患者でなくても実践できる。そして、実践することは私たちにとって大切な経験になりそうだ。それは、「ないもの」に気づくからだと思った。
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オープンダイアローグ(開かれた対話)とは、対話そのものであり、もつれたものごとを結果的にときほぐせることがある。

斎藤環さんはこう記した。

「ただひたすら対話のための対話を続けていく。できれば対話を深めたり広げたりして、とにかく続いていくことを大事にする。そうすると、一種の副産物、“オマケ”として、勝手に変化(≒改善、治癒)が起こってしまう」(同書、P.65)

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純粋に「今の自分」について話すのは難しい。

往々にして、つい属性から自分を語ってしまう。「遠藤光太です。ライターです(職業)。9歳と1歳の子どもがいます(家族構成)。発達障害があります(障害・疾病)」ーー。

声のアトリエでは、自己紹介から始めることはしない。

ちはやさんから簡単な説明があったあと、まず「チューニング」が行われる。話すだけではなく身体にもフォーカスするのが、声のアトリエの特徴だ。最初はグー・チョキ・パーで自分の意見を表明してみる。

「そうだと思ったらパー、違っていたらグー、その間か、どちらでもないと思ったらチョキを出してくださいね」

最初から言葉を使って話すのではなく、まず身体で表現してみることで、表情がほぐれていく。

次は、オノマトペ。自分の気持ちをオノマトペにして、声に出してみる。最初に、ゆっくりと考える時間がある。ちはやさんの声に導かれ、穏やかに、かつ集中して考える。私は「グズーン」と言ってみた。ちょっと恥ずかしくて、照れ笑いしてしまった。

そして解説。また実践、解説、実践、解説、実践……。テンポ良く進んでいくセッションは、自分を開かれた状態にしてくれる。ゆるやかにほぐれて、「チューニング」がなされる。そこには、フィンランドで産声を上げ、日本にわたり、ちはやさんのもとまで届いた知見が詰まっているのだろう。チューニングを経て、普段は話せない内的なことまで話せるようになる。
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冒頭で紹介したリフレクティングは、ちょっとむずかしい。アドバイスや説得をしないように気をつけながら、それぞれが感じたことを話す。リフレクティングになるとちはやさんがお手本のように話し、導いてくれる。

しかし終盤では、ちはやさん自身も語りをする。つまり、ちはやさん抜きでリフレクティングをするのだ。そわそわした気分で、ちはやさんの語りについて、参加者でリフレクティングをした。

これは、おそらく意図された設計なのだろう。オープンダイアローグは、対等な関係であることを重視する。支配ー被支配の関係を崩す。そして、誰もが実践できる。だから主宰者のちはやさんも、場から一時的にいなくなる。
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声のアトリエに参加することで、新しい何かを得られる。そして、それ以上に「いつの間にかなくなっていたものごと」に気づく。

こじれた相手と、第三者を交え、なおかつ心理的安全性を担保し、話した経験があっただろうか。異なる意見をそのまま発し合い、受け入れ合う経験は? ノープランで、散歩するように、対話を試みた経験は? 話さず、ただ聞く時間は? 声のアトリエで、ちはやさんがいなくなったら?

言葉にすれば、ラベリングすれば、わかった気になれる。しかし、こぼれ落ちるものがある。これは言語隠蔽効果とも呼ばれる。

私はライターとして、ものごとを言葉にする仕事をしている。言葉にすると、必ずこぼれ落ちるものごとがあることに自覚的でありたいと思っている。しかし、こぼれ落ちたものをもう一度手に取り、確認していく作業は案外、やっていないものだ。

「オープンダイアローグは当事者が自発的にふるまうことのできる空白(スペース)を生み出すための対話なんだ」(同書、P.145)

空白が足りていないと、こぼれ落ちたものごとや不確実なものごとに手を伸ばしづらい。

大切なのは、名前のつかないこと、言葉にできないこと、1人では考えつかないこと。

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ポリフォニー(多声性)と呼ばれる考え方がある。人と人は異なることを前提としている。

「徹底して「他者の他者性」を尊重する」と斎藤環さんは表現している。(同書、P.96)
映画『プリズン・サークル』公式Twitterより
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森川すいめいさんは、発祥の地・フィンランドを訪れた体験を「魔法のような方法も、特別な技法も、どこにも存在しませんでした。実直なまでのただの対話。しかし同時に、その対話実践にはさまざまな工夫や経験が蓄積されていました」(※)と振り返っている。

(※)森川すいめい著『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』(P.4)

まさに、魔法ではない。しかし不思議なのだ。私が感じたのは、オープンダイアローグは、自分が変化していく場であるということである。自分が、他者との関係のなかでナチュラルに変化していく。話せない時間に、内的な対話が進む。生成的なコミュニケーションを通して、まだ自分に「ないもの」へと手が伸びていく。

私はオープンダイアローグに関する本を読んだり、取材をしたりした経験はあったが、体験したのは今回がはじめてだった。今回「声のアトリエ」に参加することではじめて気づくことが多かった。

「私には何が“なかった”のだろうか」ーー。

それを身体で知るためには、まず声のアトリエでオープンダイアローグを体験してみることをおすすめしたい。
<参考>
  • 斎藤環、水谷緑著『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(医学書院)
  • 森川すいめい著『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』(医学書院)
  • 森川すいめい著『感じるオープンダイアローグ』(講談社現代新書)
  • 井庭崇、長井雅史著『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版)
  • ハフポスト日本版「1対1で話さず、対等な関係をつくる。オープンダイアローグはなぜ「心」に効くのか? 森川すいめいさんに聞く https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_634258e6e4b08e0e60797277
  • greenz「​​発達障害を、障害化させない家族。崩壊の危機に陥った夫婦が見出した「家族の開かれた対話」とは」https://greenz.jp/2023/02/01/kazoku_4/